「新建築」2006年6月号月評
「建築家が建物の説明で都市の話をするとき、その建物の前面道路を都市と言っている場合が多い。建築家にとって都市とはそんな矮小化されたものでしかないのだろうか。」と言われたことがある。たしかにファサードが透明のガラス張りというだけで「都市に開いている」と言われても普通の人はぴんとこないだろう。しかし、約250mも連続して表参道という日本を代表する道路と接する「表参道ヒルズ」はその置かれている状況そのものが都市的存在である。編集では注意深くこの建築を単体の建物としてではなく都市建築という概念で扱おうとする。まず、本文に入る前に「MAPS表参道」というレポートが用意され計画地周辺を時間的空間的にそのコンテクストを分析する。そして「公共という主題」と題された丁寧に計画の経緯を説明する安藤忠雄の説得力のある論文が最初に置かれる。その後に続く建物を説明する写真は周辺の風景を入れた俯瞰、街路から通りの連続立面を入れた風景など外部の写真はどれも多数の人が入った都市風景が展開されていて、この建物を単体の建築としては認識させない。

「MAPS表参道」でも示されているが、21世紀に入って表参道周辺にはスーパーブランドのフラッグシップビルがタケノコのように出現した。このフリースタンディングに建てられた建築は周囲とは異化することで記号になろうとする。そして商業施設であるから当然内部に入れるが、その内部空間のしつらえは訪れる者に客であること要求している。 「表参道ヒルズ」の内部は表参道の道路の傾斜に合わせたという自由往来のできる道路が折りたたまれて収納されたような内部空間である。下階には建物内部に抱き込むように大きな公共空間(自由往来できる商業施設)を設け、上階には住居(小さな集団に向けたユニット)を設けるという都市建築の類型を掘り起こしているように思える。つまり下階の公共空間は広場のような「都市に供する空間」であり、上階の住居は場所の性格を色づける「その場に居る者」というタイポロジーを示している。これは、30年前に造られたフロムファーストで示されていた類型と同様である。フロムファーストでは上階の住居部分はイッセイミヤケのオフィスであった。前面道路のケヤキ並木の高さを配慮したというこの建築は、都市のなかで公共というセンスを示すインフラであろうとしているように思える。この建築はまさに「公共という主題」で示されるものなのだ。誰でもが自由往来できる道路とは公共という概念を表象している。前面道路に対する敬意は矮小な論議ではない、建築の世界では都市の概念とは公共の概念でもある。

「岐阜県営北方住宅北ブロックA棟」は10層の板状の住棟が中庭を囲んで「ロ」の字型に配置されている。外形は約100mの正方形、高さ約30mのブロックとなり、内部に75m角の正方形の中庭が形成されるというものである。単体の建築というスケールを大きく超えるこの建物も都市建築のタイポロジーである。標準化、共通化に向かう単調な巨大集合住宅ではなく、ここでは複雑で多様な居住システムを創ろうとしている。それを支えるのは、免震装置を組み込みPcaPC部材で構成された立体格子の「メガフレーム」である。この「メガフレーム」は公共が用意するインフラのようである。このインフラが用意されることで多様性を担保する多数の建築家の参加が可能になっている。と同時に、時間の中で起こる変化や補修に対応できる居住システムになっているようである。

「箱の家―112「神宮前計画」」と「ハウス&アトリエ・ワン」はともに建築家の事務所+住居である。住宅が巨大な消費財ではなく生産装置であるという店舗付き住宅は重要な都市居住のタイポロジーである。難波和彦は箱形という形式によって「都市にはグレインを表記するだけ」という地の建築としての倫理を主張している。塚本由晴と貝島桃代は目には見えない都市のコードであるエンベロップという斜線制限をそのまま外形に現す。表出する形態は異なるが、意志決定を外在化するという態度は同じであるように思える。そして建築のクリティカリティを環境のなかに探るのだがこれも外在化された意志である。バンハムの「環境としての建築」の続編を読んでいるようで興味深い。「ハウス&アトリエ・ワン」の井水利用の輻射熱冷暖房はとても納得したのだが、面白いのは外壁にその井水を打ち水する仕掛けになっている。そのために保水力のある砂付きルーフィングだ、という説明を読んでいたく感心してしまった。

「連歌ランドスケープ」のなかで19世紀半ばにセントラルパークが構想され建設された様子が紹介されている。オルムステッドによってNY市に計画されたセントラルパークは不特定多数の大衆のために造られた初めての公共の公園(public park)なのだそうである。このセントラルパークとセイムスケールで東京の中心にある一家族が専用使用する広大な自然の緑が示されているのが批評的で興味深い。「さくら広場」の美しい満開の桜を写す見開きの写真には人が写っていないが、この場所で万人の花見の宴は開かれることがあるのであろうか。  


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